[見花山の生い立ち] …… p. 4

 このようにして始まった見花山の自治活動の初期は、川和町に大変お世話になることが多かった。当時の川和町は警察署、郵便局の本局、銀行、法務局まである緑区一の町であった。(当時は都筑区はまだ無く、緑区であった。港北区、緑区の一部地域により、青葉区と都筑区が発足したのは1994(平成6)年11月6日)ちなみに1985(昭和60)年の川和町の人口は8947名(2645世帯)とある。しっかりした組織と伝統のある川和町内会。それに引き替え見花山のリーダー達は自治活動とは何か?も全く知らなかったのである。

 そのころの見花山には街路灯が全く無く夜は真っ暗で、家もまばらで空き地の方が多く、極めて不安全な寂しい町であった。毎年区より川和町に街路灯設置の割り当てが来ていたが、川和町はそのほとんどを見花山に設置してくれた。また道路にも道路標識やセンターライン等の道路標示も無かった。見花山のリーダー達はその解決方法も分からず、川和町が代わって手続きをしてくれた。新入りのよそ者に対してきわめて紳士的に接してくれたのである。おかげで見花山は自治活動の基盤を順調に作ることが出来たのである。


(2)自治会館建設と見花山自治会の独立

 見花山自治活動は川和町内会の一最寄として、順調な歩み出しを始めたが、見花山独自での会合が、それなりにある。見花山最寄内の総会、理事会、評議委員会、班会議、等である。当然それらの会合の場所が必要となる。
近隣の川和町内会最寄の都筑第二会館、上サ会館、森会館などをお借りしたこともあるが、総会はかりん公園、理事・評議委員会は理事のお宅、班会議は空き地での開催が多かった。かりん公園での総会開催時、急に雨が降りだし木陰橋下に逃げ込み、そのまま続けたこともあった。

最寄理事の家で行われる理事・評議委員会の後はその家で宴会になる。班会議もたまには家がまばらな空き地でバーベーキューを行いながらの開催、それはそれで楽しかった。町内会資材も今とは比較出来ない程少ないとは言え、それなりに有ったが、理事の自宅の倉庫に分散して預かってもらった。

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