[見花山の生い立ち] …… p. 3

 1983(昭和58)年ニュータウン最初の入居が始まり、見花山と大丸の町名が決定した。また1986(昭和61)年にはニュータウン内に研究施設も導入された。 港北ニュータウンの交通計画としては、便利で安全なサービスが提供出来るように、公共の交通機関を重視した交通計画が立てられている。

 その中心となる鉄道計画では、横浜市高速鉄道3号線(横浜〜新横浜〜ニュータウン〜田園都市線あざみ野)、高速鉄道4号線(東横線日吉〜ニュータウン〜横浜線中山)の2路線と地区内に6ヶ所の駅が計画され、計画通り実現された。
 実際にニューウタウン内に市営地下鉄が営業運転を開始したのは、3号線(ブルーライン)が1999(平成11)年8月29日、4号線(グリーンライン)は2008(平成20)年3月30日であった。ちなみに4号線の開通時から、横浜市営地下鉄の愛称にブルーライン、グリーンラインが使われるようになった。

港北ニュータウン事業も、現在は良好な住環境のもと、社会のニーズに対応した多様な機能の導入、複合的で活気のあるまちづくりなど、最終段階に入っている。


3.見花山自治活動の歩み
(1)自治活動創世記

 1983(昭和58)年にニュータウン地域最初の供用が開始され、見花山と大丸の町名が決定し、その年の10月ごろより住宅建設・入居が本格的にはじまった。そして翌年の5月には見花山地区には約70軒の人々が生活を始めていた。当時の住民には自治会活動の意識は全くなかった。

 隣接し長い歴史を持つ川和町内会としては、住民が急激に増えつつある見花山が行政に対する対応、地域に共通する問題の解決、或いは住民の親睦と福祉の向上にたいしてどのように対処して行くのか見守っていたが、見花山住民は自治活動を開始するには至らなかった。

 そこで川和町内会から当時の見花山住民に対して、自治活動に対する問いかけが1984(昭和59)年5月19日、川和町内会の上サ会館に於いてなされた。
 そしてその場で見花山として独立した自治活動を開始するか、川和町内会の一最寄として歩むかの決断を迫られた。見花山住民はどのように判断して良いか急のことであり困惑したが、新しく住むことになった、言ってみれば "よそ者" に手を差し延べてくれたことに感謝し、川和町内会の一最寄として歩むことを決定した。更にその場で最寄理事2名(荒井氏、常別當氏)を決めた。その後、評議員4名(新保氏、鈴木氏、高橋氏、細谷氏)4班体制を定め、6月16日より見花山が自治活動の組織的な歩みを始めたのである。

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