[見花山の生い立ち] …… p. 11

4.見花山町名の由来

 現在私達の住む見花山の多くの部分は昔、川和村に属し「花見山(ハナミヤマ)」と「けんか山」と呼ばれる小高い丘があった。(見花山の今と昔の地図参照)
 昔の川和村は周辺の池辺、青砥、佐江戸、荏田、市が尾村と接しており、寛文2年(1662年)に加賀原の入会野について川和村と池辺村が争ったのをはじめ、何かにつけ領線争い、水利権争いが行われていたようである。現在の見花山付近の古い地図を見ると、川和町と池辺町エ荏田町が複雑に入り組んでおり、現在の見花山付近は周辺の村の領線争いの中心になっていたようである。各村の青年団同士の争いの場所は当然各村の中心部から離れた寂しい場所で行われ、ここに「けんか山」という地名が生まれたと思われる。しかし「けんか山」の漢字表記は"喧嘩"の字を嫌ってか?風流からか?「見花山(ケンカヤマ)」とした説がある。いつからミハナヤマと読むようになったのかははっきりしない。

 「見花山(ミハナヤマ)は昭和58年(1983年)の港北ニュータウン地区の住居表示施行にともない、池辺町、川和町の一部から新設した町。町名は川和町の字名『見花山(ミハナヤマ)』を採った」と記載されている資料もあるようであるが、正式な字名は『花見山(ハナミヤマ)』であり、これは明らかに誤りと思われる。

いずれにしても、「花見山(ハナミヤマ)」と「見花山(けんかやま・ミハナヤマ)」が現在の見花山地区に同時期に存在したと思われ、資料の混乱が見られるようである。

 私の保管している1984(昭和59)年に川和町の法務局より取得した自宅の登記簿謄本を見ると、所在欄に「横浜市緑区川和町字見花山弐壱参四番地・同番地参」と記載され見花の部分が花見に訂正され訂正印が捺印されている。当時の法務局にも混乱が見られる。

〔見花山町名の由来については「見花山誕生20周年記念」誌の14頁から15頁に記載されている『「見花山」地名のルーツ検索』脇田武氏執筆の記事をご参照頂ければ幸いです。〕

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