[見花山の生い立ち] …… p.10

 しかし市営地下鉄グリーンラインの開通に伴い、新設された川和町駅と都筑ふれあいの丘駅の誕生セレモニーに関し、従来地区町内会とニュータウン地区自治会の考え方の違いが決定的なになった。この出来事を機にニュータウン地区自治会の「川和地区連合町内会」からの分離独立機運は更に高まっていった。
 これら出来事を背景に2007(平成19)年10月27日の川和地区連合町内会会議において、当時の見花山自治会長であった新保茂氏より小学校区を基本とし、ニュータウン地区と従来地区に分離独立案が具体的に提案された。
 大きな障害になったのは川和地区連合町内会が川和町から移管されていた、川和消防団の運営費用の負担問題があったが、これも最終的には解決に至った。
 そして、2008(平成20)年4月26日に開催された平成19年度川和地区連合町内会総会においてニュータウン地区6自治会(現ふれあいの丘連合自治会所属自治会)の退会が承認された。

 その年の5月18日に川和地区連合町内会を退会した6自治会により新連合自治会設立総会が開催され、正式に「ふれあいの丘連合自治会」が誕生したのである。

 これにより、いろいろな地域から移り住んで来た人々で構成された、環境の似通ったニュータウン地区内自治会同志が、同じベース、同じ考え方の仲間として補い、助け合える本当の意味での連合自治会が実現に至ったのである。
 この丘連設立の機関車役を務め成し遂げた、当時の新保見花山自治会会長の信念と行動力に心から感謝を申し上げたい。

 これからも一自治会では対処しがたい種々の問題に対して、それぞれの自治会の経験、知恵を生かし、自治会どうしが補い合って、「ふれあいの丘連合自治会」が私達の理想のまちづくりに貢献してゆく事を期待したい。

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