見花山の生い立ち
飯 島 弘 *
1.見花山の先住民
東京・上野の国立博物館平成館の1階、考古学の展示室には、1万年以上前の世界最古の土器として「花見山(ハナミヤマ)遺跡から出土」と解説された土器が展示されている。
この土器こそ日本の歴史的宝物とも言うべき遺物で、私たちの住む現在の見花山(ミハナヤマ)の川和高校の東側(現在の7−1班辺り)にあった小高い丘の花見山(ハナミヤマ)で発掘されたのである。
1977(昭和52)年9月花見山からミミズバレの線や爪の模様のついた土器や柄のついた石ヤリ等がいくつか発見され、専門家の調査によりこれらは最古の縄文土器と石器であることがわかった。それから半年におよぶ発掘が行われ、ついに縄文時代初期の村の跡が掘り出された。この遺跡の特徴は竪穴式住居も発見されたことである。通常この時期の住居は洞穴と考えられていたので、これは当時の住まいを考える上できわめて重要であった。
そこは地元の人々が古くから呼んでいた地名に因んで「花見山(ハナミヤマ)遺跡」と名付けられ、縄文時代の始まりを明らかに出来る重要な遺跡であった。
そして「花見山遺跡」発見から約半年後の1978(昭和53)年春、"花見山"の向かいにあった"けんか山"(現在の2−5班辺り)から、これらに次ぐ土器が発見されたのである。「けんか山遺跡」は「花見山遺跡」より明らかに新しいものであったが、両方ともその年代は約1万2千年前と推定されている。
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