私が見花山に越してきたのは、昭和59年3月でした。港北ニュータウンの南端にあり、見花山が命名されたのが昭和58年ですから、ほぼ見花山誕生と同時に移り住んできたようなもので、私たちも越してきて30年になります。当時60軒ほどの家しか建っていませんでした。現在世帯数では1000世帯は超えていると思いますが立派な街になりましたね。
それも近隣の町内から羨ましがられるまとまりのある街として知られるようになりました。
それは、最初から築いて下さった初代会長の鈴木春光さん・二代目の荒井毅さんの並々ならぬ努力と統率力のおかげだと思います。その路線を引き継ぐ形で平成17年度から平成22年度まで6年間会長を務めさて頂きました。
私が任期中で最も思い出深い出来事は、何と言っても「ふれあいの丘連合自治会」を誕生させたことだと思います。この問題については、平成19年12月13日に「連合分割について」だけを議題に臨時理事会を開催して議論を交わし、新連合は「小回り」と「スリム」を特徴に推進することとし、川和地区連合町内会に対し、平成20年2月9日付けで正式に「ふれあいの丘連合自治会」を結成する準備に着手する旨の意思表示を行ったことでした。そして3月の川和地区連合町内会の定例会議で、激論の末6自治会が正式に脱退届を提出し川和連合と別れを告げることになりました。そして平成20年5月18日に新しい連合自治会の設立総会が開催され、正式に「ふれあいの丘連合自治会」が発足いたしました。
この連合自治会の分割については、当然メリットとデメリットが発生しました。
まずメリットは
≪地域環境を同じくする連合体の連携強化、負担金の軽減≫
1.地域環境に合わせた連合体の必要性として、地下鉄新駅開業に伴う駅周辺の環境変化への共通認識をもった連携強化でした。現に駅前の違法駐車やマナーの悪い自転車の放置・若者の駅前の屯(たむろ)・空巣や不審者の出没に対する環境改善や防犯活動の強化など、港北ニュータウン内地域として6自治会が共通認識を持った諸活動が期待されることでした。
2.川和消防団に対する負担金と福祉会館運営費の軽減でした。連合分割により、ふれあいの丘連合自治会での負担金はいずれも無くなりました。特に消防団は本来川和町内会の持ち物であり、同町で管理運営されなければならないものが、平成6年の川和連合町内会設立時に連合町内会に移管されてしまったものでした。
そしてデメリットは
≪川和地区との組織上の枠組みの薄らぎ、隣接地とのコミュニテイの変化、新組織作りの一時的負担≫
1.川和地区社会福祉協議会・青少年指導員連絡協議会・スポーツ推進委員連絡協議会の良き枠組みが薄らいでいく事
2.川和町住民と親戚関係がある人々や仕事の関係で深いつながりのある人々、更には両地域にまたがって同好会組織の分断など、これまで積み上げてきた良き地域コミュニテイが変化すること
3.新連合結成にあたり、意識調査・行政への手続き・関係自治会への働きかけ・規約・役員人事・地区社協や関係組織の見直し・それに伴う関係資料の作成など、条件整備が一時的に多大となること。
でした。
新連合自治会が発足して6年目になりますが、まだまだ安定した組織とは言えず6自治会の連携と意思疎通の強化が必要ではないかと思われます。
私は平成22年度をもって会長を退任いたしましたが、引き続き地域の役に立てないかと思い、「見花山ささえ隊」を結成し、ボランテイア活動を開始、ふれあいの丘地区社会福祉協議会の委員となり、現在その事務局長を務めております。行政・連合自治会からの助成金や賛助会費の還元金などを資金源にして活動しておりますので、できるだけ地域の方々のためになる事業を計画しておりますが、特に社会的弱者(高齢者の1人住まい・子育て中のママさん等)支援活動を心掛けていきたいと思っています。
最後に、本当に見花山は住みよい街になりました。どこに行っても自慢できる街です。この街に住めていることに誇りを持ち幸せを感じています。西潟会長が提唱している、見花山まちづくり基本理念が広く浸透し、ますます発展されることを祈念し、見花山誕生30周年に寄せる言葉といたします。おめでとうございます!