[寄稿] …… 

見花山ホームページの始まりと経緯

自治会元副会長  宮本 興亜

 見花山のホームページが掲載されるようになったのは2001年からです。
当時、私は自治会の総務を担当していました。理事会で決まったことを議事録に残し、自治会会員の皆様にお知らせすることと、活動記録を保存する仕事でした。
 無味乾燥な文字だけの広報紙では皆さんに自治会の活動が十分に伝わらないと感じていました。見花山は誕生して間もない新しい街で、全国に故郷をもつ人たちの集まりです。一つの街として結束するにはイベントを通じてお互いが顔見知りになることが大切と自治会では早くから認識していました。なんとかこの生き生きと発展する見花山の街や行事の様子を皆さんにお届けできないかと考えていました。
 この頃はコンピューターが進歩し、インターネットが盛んになってきた頃です。会社の従業員はパソコンを使って仕事をするのが普通になっていました。インターネットを使ったホームページなら鮮やかな写真と記事が瞬時にお届けできることから、これからの時代はホームページで自治会情報を発信することになると感じました。
 そこで、2000年11月の理事会に自治会のホームページを作ることを提案しました。まだ馴染みのない広報手段に危惧する意見もありましたが、対外的にも見られるので良い作りにしてほしいという条件がついて了承されました。

2001年の自治会の目次のページ

 試行期間ということで、私個人が持っているホームページアドレスで始めました。使用するhtml 言語は一種のプログラムであるため、悪戦苦闘しながらも、何とか体裁を整えて2001年3月の理事会で開設を発表することができました。自治会のページはどんど焼きから、見睦会のページは前年の作品展から、子供会のページは新入生歓迎会から、青年部のページは総会報告から、そして婦人会のページは春のハイキングから掲載されました。
 ホームページを作るにあたって留意した点は継続性でした。デザインにあまり凝らず、作成担当者に負担がかからないように単純化、標準化するとともに、見たい項目がすぐわかるように目次から入るようにしたこと、最初の入口(INDEX)は常に表示されるようにしたこと、形を崩さずA4に印刷できることなどです。しかし、デザインが変わらないのも飽きがくるので、担当が変わったら思い切った変更を期待しています。
 いまでは、ワープロなどから自動的にhtml文を作成するソフトが出ていますが、細かい修正をするときはhtml言語で直接直した方が便利なので、その後も手造りのhtml文を使い続けています。一方、世の中では書式を統一するためのスタイルシートが勧告され、古いhtml言語が一部使えなくなって、この世界も進化しつつあります。

自治会独自のアドレスで再スタート

 2004年の12月の理事会で広報委員会の設置が決まり、広報紙の編集見直しで「かりん公園」が2005年3月に発足しました。
 ホームページについては個人的なアドレスを自治会のホームページに使い続けるのは良くないのではないかとの意見が前から出されており、見花山自治会独自のホームページアドレスを2006年度の予算で購入することが決まりました。
 こうして、ホームページが2006年2月9日から新しいアドレス「htpp://www.mihanayama.jp」で再スタートしました。そして私が自治会の理事を離れた2009年4月から若い理事児玉さんにホームページの更新を引き継いでいただき、現在に至っています。

 個人がパソコンやスマートフォンなどを持ち、インターネットに親しむ時代がやってきて、自治会活動をホームページで発信する自治会が増えてきました。
近隣では高山自治会、ほかに都筑区では9自治会がホームページで活動を紹介しています。インターネットの即時性とカラー写真を存分に使えるメリットを活かし、これからも広報紙を補完することでその役割を担っていくものと思います。当初も今も見花山自治会の会員向けに限定して情報を発信していますが、インターネットの広域性により、他の自治会や行政にも自治会活動の動きが分かるようになり、連携や参考になることも多くなってくると思います。その点を意識しながらこれからも情報発信に努力していくことが必要ではないでしょうか。

目次のページへ戻る